2度目のトルコ旅行記(3)

5日目(6月27日)

 ビンギョル⇨アハラット⇨ヴァン

 快晴の毎日です。日中の気温は30℃以上になりますが、湿度が低く東京のような暑さは感じません。8時にホテルを出発。バスの中でガイドのユスフさんが、この地域の90%はクルド人が占め、自分もクルド人である事。また現在のエルドワン大統領になってからイスラム化(今までの学校の半分がイスラム教の学校、新聞禁止、服装の自由化が厳しくなった、飲酒の場所が少なくなった)が進みつつある事、アラビアの国々との交流が増え、アラビア人が増加している事を話してくださいました。検問、WC休憩を取りながら10時半にローマ帝国時代からあるビトリスの町に残る16世紀のキャラバンサライ(隊商宿)で写真ストップ。

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シルクロードはディヤルバクル〜ビトリス〜タトワン〜アハラット〜ヴァンを通り、イランのイスファハーンへと繋がっていました。タトワンを通過(10時45分)するとヴァン湖が見えてきました。あまりにも広いので地元の人々はヴァン海と呼んでいるそうです。

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11時15分にハラベ・シェヒルローマ帝国時代の洞窟居住跡に到着。バイラム休日の家族連れも来ていて、管理が全くされていない居住跡を自由に見学しました。

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その後、近くのアハラットの墓石へ行きました。アハラットは6世紀のウマイヤ朝時代に発展し、1060年代にはセルジューク朝の本拠地になりました。1071年、ここを拠点にしたマラズギルド(北へ約60㎞)の戦いでビザンチン帝国(東ローマ帝国)に勝利し、トルコ人アナトリア移住と征服が始まりました。野花が咲き乱れる広大な敷地に3万人位の墓石が林立しています。茶色い火山性の凝灰岩で出来ており、大きさは生活レベルで決まり、大きなものは3、5メートル。表面にはアラビア文字幾何学模様が施されています。

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昼食はヴァン湖畔でパスタスープ、サラダ、肉炒め等。15時過ぎに50万都市のヴァンに入り、ウズンジュル大学構内にあるヴァン猫研究所を訪ねました。110匹が保護と繁殖のために飼育されています。原種は絶滅したとも言われており、今も減少し続けている貴重種で、トルコの生きた文化遺産とも呼ばれています。手足の長い白猫で左右青と黄色のオッドアイが特徴ですが、産まれる子猫の3匹の内1匹しか特徴を受け継がないため両眼とも同じ色の子(中には同じ色でも濃さが違う子)も沢山います。他の猫と違い泳ぎが得意ですが、太陽の光に弱く、環境の変化にも敏感な繊細な猫です。輸出禁止のためトルコ国内でしか見られませんが、手続きをすると飼う事が出来ます。

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16時過ぎに街の中心部にあるエリートワールドホテル着。ここでは連泊で、19時の夕食まで通りを散策。

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ミナレットが見えたウルジャーミーにも行きました。お参りに来ていた地元のおじさんが親切に色々説明をしてくれましたが全くわかりませんでした。

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夕食は緑レンズ豆のヨーグルトスープ、トルコ風ムサカ、プディング。

 

 

 

 

6日目(6月28日)

 ヴァン湖周辺の観光の1日です。午前中はヴァン湖に浮かぶマクダマル島に行きました。本土から3㎞離れていて、ヴァン湖にある5つの島の内最大の島です。島に在るアルメニア教会は、915〜921年にアルメニア帝国カギク一世の”島のどこからでも見える大きな教会を”との命により建設されました。元々はイエスが磔にされた時の十字架の一部を納めるために造られました。当時は屋根の上に金色の十字架がありましたが、別の教会に移されました。2000年代、アルメニア政府が、アルメニア人がお祈り出来るようにするとの条件の元、費用を負担して修復が始まりました。しかし、修復後、トルコ政府はアルメニア人を拒否。2010年代になって年一度のお祈りがようやく許可されました。外壁には、アダムとイブの物語など聖書に出てくる五輪のレリーフが美しく残っており、内部には生徒の勉強部屋や井戸、イエスや大天使ガブリエルが描かれているフレスコ画も。何人かで高台に登ってみました。青空の下、ヴァンこと教会の眺めが素晴らしかったです。

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昼食は対岸に戻り、ヴァン湖を見ながらトマトスープ、インジケファル(ヴァン湖の魚、淡白な味でした)のグリルと果物(さくらんぼ、桃、杏、バナナ)

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 昼食後はヴァンの外れにある岩山の城跡、ヴァン城へ。紀元前825年に、この地で高度な文明を築き上げたウラルトゥ王国のサルドゥール一世によって建てられました。その後、アッシリアヒッタイトアレクサンダー大王ローマ帝国セルジューク朝、ムラト4世(オスマントルコ)なども利用しました。アルメニア時代まで、ヴァンの街はここにありました。当時はセメントや鉄が無かったので、土、水、卵、ミルクなどで築かれました。城の裏手にはかつてアルメニア人が住んでいた住宅、教会、モスク跡が残っていて当時を想像することが出来ました。

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16時にホテルに戻り夕食まで自由時間です。郵便局から絵葉書を出したりスーパーを覗いて過ごしました。夕食は春巻き、チキンのピラフ詰め等。添乗員さんからのソーメンの差し入れもありました。旅行参加者は現地の食事を楽しみにしているので個人的には不要だと思うのですが・・・添乗員さんも大変です

 

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