2度目のトルコ旅行記(2)

3日目(6月25日)

マラテヤ⇨キャフタ⇨カラタント⇨ネムルート山

 昨日で1ヶ月続いたラマダンが終わり今日からバイラム(砂糖祭)です。子供達は甘いお菓子や新しい服をもらえるそうな。7時30分にキャフタに向け出発。道中には黄色い花が沢山咲いていました。ヨーロッパに1200種ある花の内900種はトルコで見られます。10時25分にキャフタに到着し、ミニバスに乗り換えて、紀元前1世紀頃この地で栄えたコンマゲネ王家の墓標が立つ”カラクシュ”、ローマ時代の”ジェンデレ橋”、アンティオコス時代(紀元前1世紀)から要塞があった”イエニ.カレ遺跡”、コマンゲネ王朝の夏の離宮”アルサメイヤ”を訪ねました。

 

カラクシュ

 カラ=黒、クシュ=鳥と云う意味で、アンティオコス1世の妻と2人の娘の為に、息子のミトラダテスII世が造った墳墓です。ここからネムルート山が望めます。これはアンティオコス1世夫婦がお互いに深く愛し合っていたため、見える場所に作ったのです。墳墓の周りには元々5本の柱が建っていましたが、現在は4本。正面には鷲、右にはライオンと牛、左には王のレリーフがあります。

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奥のとんがっているのがネムルート山

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ジェンデレ橋

 ユーフラテス川の支流であるジェンデレ川に架けられた橋です。ローマのセプテミウス皇帝(在位193〜211)のために建設されました。92個の石材が10キロ先から運ばれ、セメントを使わずに積み上げられました。バイラムの休日で子供連れの家族が水遊びをしていました。

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イエレ、カレ遺跡

  紀元前1世紀に建てられましたが3度修復され、現存するのは13世紀マムルーク朝のもの。そのためイエレ、カレ=新しい城と呼ばれている要塞です。修復中で普段は入ることができませんが、ガイドさんが掛け合ってくれて入場できました。急な坂を登り、中に入ると地下に部屋が残っていたり、モスク跡もありました。

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アルサメイヤ

 アンティオコス1世が父のミトリダテス1世の命で造った夏の離宮跡です。アポロンレリーフや井戸、ヘラクレスとミトリダテス1世が握手するレリーフギリシャ文字などが残っています。かつてはイエレ、カレまでトンネルで繋がっていました。

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 観光後は昼食(14時)でひき肉のピザ、ラフマジュンとマッシュルームスープでした。夕方から旅のメインイベントである、ネムルート山夕景鑑賞があるので、早め(15時)のホテル到着でした。山麓にあるこじんまりとしたホテルで、蟻が出てきて殺虫剤をかけてもらいました。18時まで休憩です。18時に再集合してミニバスに乗り、途中の休憩所でシャトルバスに乗り換えました。東のテラスまでは徒歩で30分。そこから西のテラスに周り日の入りを見ました。20時40分にホテルに帰り、遅い夕食(トマトスープ、トルコ風シチュー)となりました。

ネムルート山

 標高2150mの山頂に巨大な神像があります。これは紀元前1世紀に、この地方を支配したコンマゲネ王国のアンティオコス1世の墳墓。岩のかけらが積もって円錐状の丘となっている山頂自体が陵墓です。東と西にそれぞれ5体の神像と鷲とライオンの像が並んでいます。地震で首が神像から転げ落ち、神々の首はまるで地面から生えたかのようです。アンティオコス自身の像はゼウスやアポロンヘラクレスなどの神々と並んでおり、強大な権力を持っていたことが伺えられます。

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東のテラス

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西のテラス

 

4日目(6月26日)

カラダット⇨エラズー⇨ビンギョル(530キロ)

 7時半にホテルを出発してマラテヤ経由でエラズーに向かいました。バスの中で簡単なトルコ語講座がありました。毎朝ギュナイドン(おはよう)と挨拶していますが、3日間続くバイラムの時にはイーバイラムラール(良いバイラムを!)と挨拶をしたほうが喜ばれると教わりました。WCストップ、検問を通過して13時にエラズー到着。ヨーグルトスープ、羊のケバブの昼食。レストランの子供さんからバイラムなのでチョコレートのプレゼントがありました。

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 昼食後は新市街の中心にある小さなバザールへ。ドライフルーツ、スパイス、蜂の巣、地元のお菓子等が売られていて、ここでチャイ、干しイチジク、干し杏、蜂の巣を購入しました。1時間の自由時間後はバスで旧市街に移動しました。石畳に石造りの建物が並ぶ古代都市カーバード(ハルプト)で要塞でもありました。エズラーはカーバードから発展した都市で、オスマントルコ時代(1299~1922)は重要な場所でした。アルメニア語でカーバードは”岩の砦”の意味で、初代アルメニア王によって建設されました。

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ハルプト城

 紀元前8世紀、ウラルトゥ王国時代に建設され、現存するのはオスマントルコ時代に改築(修復)されたものです。当時は水が少なかったためにミルクと卵白をセメント代わりに使っていました。そのため地元の人からは”ミルク城”とも呼ばれました。城壁内には刑務所、井戸、モスク跡が残っています。上は展望台になっていてエラズーの町が一望できます。

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 16時に今日の宿泊地ヒンギョルに向け出発して1時間後に到着しました。夕食はキュウリとヨーグルトの冷製スープ、レンズ豆のスープ、ナスの挽肉つめ等。このホテルに日本人が宿泊するのは初めてで、フロントの方と写真を撮ったり、」スタッフ総出のおもてなしでした。

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