2度目のトルコ旅行記(1)

 トルコのガイドブックに載っていた山頂に石像が鎮座する(ネムルート山)光景をいつの日にか見たいと思っていました。テロの影響で、久々の催行のトルコ旅行の中にネムルート山の文字を見つけ申しこみました。2010年に退職記念の友人と西の主な観光地は回っていますので2回目のトルコになります。

1日目(6月23日)
 成田空港第一ターミナル集合は19時25分。スーツケース持参で16時17分の京急で横浜へ。16時50分のリムジン(2000円)で成田到着は18時30分。事前の電話連絡で、東トルコは両替できる所が少なく、イスタンブールでの乗り継ぎ時間も僅かなので成田での両替を勧められていました。10000円を190トルコリラ(52円)に両替。予備知識では32円のはずなのに高い(世界的に流通していないお金はリスクも多く高いとか?)。後でイスタンブールで両替した人は32円。かなりの違いにがっくりです。ツアーは15名で三人組、夫婦一組、一人参加10名で若い女性の添乗員Hさんです。21時42分に満席のトルコ航空機はイスタンブールに向け離陸。途中2回の食事が出ました。

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 2日目(6月24日)
  約12時間の飛行で4時にイスタンブール、アタチュルク空港到着。日本との時差は-6時間。国内線のターミナルに移動し、ガイドのユスフさんと合流し、6時10分発のマラテヤ行きに搭乗しました。飛行時間は1時間半。軽食のサンドイッチが出て、飲み物は塩味の飲むヨーグルト、アイランを頼みました。甘い飲むヨーグルトに慣れている身には不思議な味でした。7時30分にマラテアに到着し、VIPバス(2-1列)に乗り込みました。マラテアはアナトリア高原の古都で、初の製鉄技術を持ったことで有名なヒッタイト帝国(紀元前2000~700年)以来の歴史があります。杏が有名で、この時期、道端の杏売りもみられました。200キロ先のディブリィまでトイレ休憩を取りながら青い空と緩やかな丘が続く中を3時間のドライブです。ディブリィは小さな村ですが、12~13世紀頃のセルジューク朝時代の重要な都市で、1985年に世界遺産に登録された”大モスクと病院”があります。1228年に地方君主のアフメット・シャーとその妻によって建てられたイスラム建築です。西の門はテキスタイルの扉でキリムを想像させる彫刻が施されています。夕方頃の礼拝時には日陰が男性が祈る形に見えるとか。北の門はオスマン帝国時代の城壁方向に面していて、扉のモチーフは天国。陽のあたる時間には陰が女性のシルエットに。病院側の門にはイスラム教を表す月、ユダヤ教を表す星、キリスト教を表す十字架が合わさったモチーフがありました。修復の最中でしたが、ツバメの巣もできており、荒れていました。f:id:chizukoAchan:20170817173314j:plain

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 昼食は近くのレストランでレンズマメのスープ、チキンケバブとサクランボ。自己紹介もしました。昼食後は来た道を戻り、マラテヤのホテルには16時に到着しました。長旅の疲れで19時の夕食(ビュッフェ)まで横になっていました。

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(チキンケバブとサラダ(このサラダはいつも出てきました))

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