読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ポーランド旅行記

ポーランド旅行(2016年6月18日~25日) 

f:id:chizukoAchan:20170309135215p:plain

 

 2015年末から大腿骨骨折で入院していた母がやっと4月2日に退院。そろりではありますが、自分でトイレに行く事も出来るまでに回復し、やれやれと思っていたところ4月27日から心不全でまたも入院。ゴールデンウィークは母の見舞いも兼ねて白老へ。思ったよりも元気な様子に少し安心はしましたが、年齢もあり無事退院できるかなと心配もしましたが、5月18日に退院。10日程何事もなく過ぎたのを見計らって6月の旅行を決定しました。インドのビザが7月まで残っていたので、ラダックが第一候補でしたが催行されず、前から行きたかった東欧で連泊も多く直行便のポーランドに決定しました。

第一日目(618日)

 成田集合は2時間30分前の745分。朝一の京浜急行で横浜まで出て530分発のリムジンにYキャットから乗りました。65歳以上は片道2000円です。渋滞も無く90分で第一ターミナル着。参加者は26名で久しぶりの大人数です。夫婦2組、母娘2組、友人同士3組、三人組、70代?の姉妹、一人参加7名。平均年齢が64歳でがっかり。若いつもりでも十分な年齢になっている事を実感しました。出発ロビーに入る前に20,000円を現地通貨620ztズウォティ)に両替しました。1015分発のポーランド航空機は20分遅れで離陸。席は3-3-3の配列で窓際の席を取りましたが、隣が空いていてラッキーでした。2回の食事もまあまあで7時間の時差のあるワルシャワショパン空港に11時間後の1430分に到着しました。ホテルはバスで30分余りで、ワルシャワ西駅が目の前。機内食が夕食替りになっていて夕食は無しだったので、添乗員さんが近くのスーパーまで連れて行ってくれました。その後、一人で電車通りを真っ直ぐワルシャワ・ボヴィシレ駅まで歩いてみました。夕食はスーパーで見つけた寿司。興味があって買ってしまいましたが、シーチキンや沢庵を半殺しのもち米で巻いた感じの海苔巻を美味しいと感じるポーランド人がいるか疑問です。夏至近くのこの時期は9時頃まで明るかったです。

 写真はポーランド空港、機内食、ホテル前の様子、寿司です。

f:id:chizukoAchan:20170309135253p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309135443p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309135529p:plain

第二日目(6月19日)

 今日は移動日です。7時45分に集合し出発。席は一人ずつには少し足りなくて前2列は二人掛けになり、毎日変わりました。郊外に出ると麦畑、じゃがいも畑の平原が続き、山らしい高い所もありません。2度トイレ休憩を取りながら4時間30分のドライブでイタリア・ルネサンス様式の美しい建物が並ぶザモシチに到着しました。貴族ヤン・ザモイスキ(1542~1605)が若い頃に感銘を受けたイタリアの景観が忘れられずにイタリア人建築家ベルナルド・モランドに作らせた街です。今では一部しか残っていない堡塁に囲まれた要塞都市でもありました。18世紀の後半からオーストリア、ロシアと支配され第二次大戦中はナチス・ドイツに占領されましたが、破壊されることなく1992年に世界遺産に登録されました。ポーランド風ロールキャベツ(具に米も入っていました)とジャガイモサラダの昼食後600×400mの旧市内を散策しました。散策後は5時間のドライブでクラクフへ。途中、速度違反キップを切られるハプニングもありましたが、19時過ぎにホテルに到着し夕食はチキンでした。

 写真は麦畑やジャガイモ畑が続く大草原、ザモシチの広場、昼食のロールキャベツ、シチュブジェシン門と堡塁、聖トーマス大聖堂です。

f:id:chizukoAchan:20170309135753p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309135819p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309135849p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309135911p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309135940p:plain

第三日目(620日)

 クラクフでは三連泊です。11世紀中頃から1596年までの約550年間ポーランド王国の首都として栄えました。1939年、ナチス・ドイツに支配されるも壊滅的な打撃を受ける事なく1978年に世界遺産に登録されました。ヴァベェル城や旧市街をはじめ町全体が中世のたたずまいを残しています。残念ながらホテルは郊外で、朝の散歩に出てみましたが何もありませんでした。930分発でクラクフ旧市街地観光です。始めに旧市街の南の外れヴィスワ川に沿って建っている歴代ポーランド王の居城、ヴァベル城を訪ねました。初夏の花々が咲き乱れ、ここで皆で記念写真を撮りました。

f:id:chizukoAchan:20170309140107p:plain

ヴァベル城から1364年にポーランドで最初に創立されたヤギェウォ大学の構内等を通って中央広場に向かいました。中世からそのまま残っている広場に面してレストラン、カフェ、お土産屋さんが連なっています。

f:id:chizukoAchan:20170309140158p:plain

広場の中央には14世紀に建てられ、当時は衣服や布地の交易所だったルネッサンス様式の繊維会館があります。今は一階がお土産物街、2階はクラクフ国立美術館になっています。また1222年に造られたゴシック様式の聖マリア教会も面しています。昔、モンゴル軍がクラクフを襲った際、敵襲を告げるラッパがこの教会の塔の上から吹きならされましたが、モンゴル兵の放った矢がラッパ手ののどを貫き亡くなってしまい、そのことを悔やんで今でも1時間ごとに塔の上からラッパが吹きならされています。夕食に再び中央広場に来た時に見学しました。

f:id:chizukoAchan:20170309140315p:plain

昼食はマッシュルームのスープ、サケのムニエル、ザワークラフト。

 午後はポーランド旅行のメインのアウシュビッツです。アウシュビッツの在るオシフィエンチムクラクフから54kmで収容所は博物館として公開されています。第2次世界大戦が始まりポーランドナチス・ドイツの支配下におかれていた1940年に最初はポーランド人の政治犯を収容するために造られましたが次第にユダヤ人やロマ、ソ連軍捕虜も収容されるようになりました。150万人が亡くなったとされる中、ユダヤ人は110万人。1929年、ニューヨーク株が大暴落したときに台頭した第一党のナチス・ドイツは苦しい生活の中、金融業等で私服を肥やしたユダヤ人を標的にし排斥しようとした事もユダヤ人の死亡が多い原因の一つとも言われています。重労働と貧しい食事で多くの人々が亡くなりました。また、労働力にならない老人、障害者、子供たちと母親は収容後間もなくガス室送りとなりました。被収容者から没収した衣服、トランク、靴、切り取られた髪の毛、義足、義手などが展示された部屋、被収容者が施設に入る時に撮られた3枚組の写真や囚人番号の刺青写真に、収容されてから亡くなるまでの日付けが記入されていました。男女共に丸刈りにされ縞々の衣服をきたうつろな顔の収容者の写真は何とも云われないものでした。

f:id:chizukoAchan:20170309140437p:plain

 第二の収容所ビルケナウはアウシュビッツ強制収容所」から2kmほど離れた所

に有ります。広大な敷地の中に今も木造バラックが少し残っていて、蚕棚のベットで身を寄せ合うように生活していた姿が想像できます。鉄道の引き込み線が敷地内に入りこんでいて、ここで下された被収容者は否応なく労働者と非労働者に分けられました。非労働者はガス室送り、労働者も重労働などの為数か月で亡くなったそうです。

f:id:chizukoAchan:20170309140529p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309140554p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309140620p:plain

見学後はクラクフの中央広場まで戻り、餃子に似たピエロギ、トマトのスープ、チーズケーキの夕食を摂りました。

f:id:chizukoAchan:20170309140737p:plain

第4日目(6月21日)

 9時45分発で」郊外にある世界遺産のカルヴァリア・ゼブジドフスカに向かいました。カルヴァリとはポーランド読みでゴルゴダの丘を意味し、ここはカトリックの巡礼地です。

f:id:chizukoAchan:20170309140854p:plain

17世紀初めに地元の領主ミコワイ・ゼブジドフスキによって造られた礼拝堂は当時の姿を留めています。ポーランド人の95%はカソリック教徒でイースターの聖金曜日には10万人もの信者が押し寄せる巡礼地もこの日は僅かの人が来ているのみでした。また、前々のローマ法王ヨハネ・パウロ二世はクラクフ郊外で生まれ度々ここを訪れており、銅像が建っていました。

f:id:chizukoAchan:20170309140943p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309141035p:plain

昼食はヴィエリチカ岩塩鉱の前のレストランでポークカツレツ。

 ヴィエリチカ岩塩採掘場は1250年頃から1950年代まで稼働していました。1978年に世界遺産に登録され、地下64325mにわたって複雑に入り組んだ採掘場の一部、約2.5㎞が観光客に公開されています。檻のようなエレベーターで地下64mまで下り、ガイドと共に年間を通じて14℃の中、岩塩で作られた彫像やポーランドの伝説や物語のシーン、採掘の様子を再現したのを見ながら2時間ほど歩きました。ハイライトは聖キンガ礼拝堂です。シャンデリアやイエスの磔刑像、祭壇や床も全てが塩の結晶で出来ています。

f:id:chizukoAchan:20170309141145p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309141232p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309141258p:plain

見学後クラクフに戻り夕食を摂ってホテルに戻りました。

第五日目(622日)

 810分発でクラクフから2時間30分の巡礼地、チェンストホーヴァーに立ち寄り、さらに4時間のドライブでワルシャワに向かう移動日です。国民の95%以上がカトリック信者であるポーランド人の宗教的聖地、精神的なよりどころとなっているのがチェンストホーヴァーです。1655年にスウェーデン軍が侵略、占領した際もここのヤスナ・グラ僧院が最後まで攻勢に屈しなかったのは、僧院にある聖画“黒いマドンナ”が奇跡をもたらしたからと云われ、守り神として国民の厚い信仰を集めています。

f:id:chizukoAchan:20170309141536p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309141614p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309141652p:plain

“黒いマドンナ”は、福音書記者ルカによって描かれたと伝えられており、その後エルサレム、コンスタンティノーブルを経て、1384年にこの僧院に寄進されました。この絵のマリアのほおには1430年に盗賊に付けられた2本の傷があります。僧院は沢山の信者で溢れ、近々ローマ法王が訪れる為の会場の設営準備が進んでいました(7月末にローマ法王が当地を訪ねた記事が新聞に掲載されていました)。ワルシャワに向かう途中のレストランでターキーとボルシチの昼食。ワルシャワ2泊したソフィテル・ヴィクトリアはサスキ公園に面し、旧市街も近い所に在る高級ホテルでした。早めに到着したので夕食までショパンの心臓が祭られている聖十字架教会、大統領官邸などが並ぶ新世界通りから王宮広場、旧王宮まで歩きました。ボタンを押すとショパンの曲が流れるベンチもありました。夕食は王宮広場近くのレストランで郷土料理のビゴス(キャベツとザワークラフトに、肉などを加えて煮込んだ家庭料理)。添乗員さんから独特の風味がありますのでと気がかりなことを云われていましたが、高菜の漬物の炒め物のような味で美味しく食べられました。

f:id:chizukoAchan:20170309141802p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309141900p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309141943p:plain

第六日目(623日)

 ポーランド1050年頃に最初の国家としての形が出来上がりましたが、1918年に独立するまで隣国のリトアニア、ロシア、スウェーデンオーストリアとの併合や侵攻により分割されてきました。また、1939年にドイツが侵攻し第二次世界大戦勃発、その後はロシア軍も侵入してきました。1944年にワルシャワ蜂起で国民統一政府発足。1980年頃から労働者のストが多くなりこの中心にいたのが自主管理労働“連帯”のワレサです。1989年に最初の自由選挙が行われ、連帯が政権を勝ち取り社会主義体制は崩壊し、1990年にワレサは大統領に就任しました。

この日の午前中は自由行動。希望者を、追加料金なしで、郊外のジェラソバ・ヴォーラのショパンの生家に案内してくれました。不参加は二人のみで、現在は博物館になっている生家を訪ねました。周りは緑いっぱいの公園で元はスカルベク伯爵家の屋敷跡です。遠足の子供達も来ていました。

f:id:chizukoAchan:20170309142052p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309142116p:plain

昼食はワルシャワに戻り、不参加の二人をピックアップしてショパンも通ったホノラトカでチキンソテーでした。昼食後、旧市街やワルシャワ市民の憩いの場になっているワジェンキ公園を散策。この公園の夏の風物詩はショパン像の前で行われるショパンコンサートです。

f:id:chizukoAchan:20170309142248p:plain

次に行ったのはショパン博物館です。ショパンの生涯を映像や音などを通して解説しています。彼が作曲した音楽を聴くコーナーも在り、集合時間までゆったりと過ごしました。その後、場所を移してショパンコンサートです。あまり聞いた事の無い曲を大音響で聞いて疲れがどっと出ました。夕食は自由です。一人参加の3人でホテル近くのイタリアンでピッザとスパゲティを食べました。

f:id:chizukoAchan:20170309142417p:plain

 第七日目(624日)

 朝食前にホテルの目の前にあるサスキ公園を散策しました。公園内には無名戦士の墓もあり、丁度、衛兵の交代式をしていました。

f:id:chizukoAchan:20170309142455p:plain

帰国日のこの日は12時まで自由時間で、添乗員さんが希望者をワルシャワのシンボルになっている文化科学宮殿に連れて行ってくれました。37階建の高層ビルで、中には各種研究所、TV局、コンベンションホールなどが入っています。30階の展望台からはワルシャワの街並みが見渡せました

f:id:chizukoAchan:20170309140620p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309140854p:plain

f:id:chizukoAchan:20170309142544p:plain

ここで解散になり、何人かでホテル近くの新世界通りまで歩いて戻り、スーパーやパン屋さんに行ってお土産購入。私はいつも現地のパンを買ってくるのですが、干しイチジクが入ったのが珍しく、とても美味しかったです。12時にホテルを出発してワルシャワショパン空港へ。1520分発のポーランド航空は遅れること無く離陸。10時間25分の飛行で、25845分に無事成田に到着しました。