タクラマカン砂漠縦断ハイライト(その4)

10月19日(4日目) 

 集合は9時10分、左側に崑崙山脈が続く現代の西域南道を300キロ先の和田(ホータン)まで行きます。

 途中のオアシスの町、ケリアは以前は新疆で一番大きな国だった所で20万の人口の殆んどがウイグル人。ケリア川のほとりには水田があり、ポプラ並木の街道や漢方薬(ナツメや精力剤となるサヨウ等)を干している景色,綿畑を眺めながらのドライブです。今回の旅行では、ガイドブックには必ず写っているポプラ並木とロバ車の風景を楽しみに来たのですが見かけるのはオート三輪に引かれた荷車のみです。

 14時過ぎにホータンに着き、ラグ麺とシシカバブの昼食。オアシス都市、ホータンはかつては玄奘も訪れた仏教国として繁栄しましたが、カハラン朝の征服によりイスラム、トルコ化が急速に進みウイグル族の割合が高くなりました。くるみの産地でシルク、じゅうたん、玉石が3宝物です。昼食後はアトラスシルク工房見学。アトラス柄はウイグル族の民族衣装柄でシルク製法は東方中国からもたらされました。ポプラ並木で写真ストップの後はホータン博物館へ。石器時代から古代までの近郊のニア遺跡等の発掘品を展示しています。ミイラも数体ありました。その後は郊外に移動し、白玉川で崑崙山脈の雪解け水と共に流れて来る玉石探し(残念ながら見つけられませんでした)とマリカワト古城跡を見学。漢代から唐代にかけて于闐国(ホータンの昔の名、うてんこく)が辺境防衛の為に作った砦であったと考えられているマリカワト古城跡は土漠の中にぽつんぽつんと痕跡があり”兵どもが夢の跡”と云う感じでした。20時過ぎにムズタク大酒店に到着し夕食をとりました。
 写真は放牧されているラクダ、道端の果物屋さん、昼食のレストラン、アトラスシルク工房、ポプラ並木、玉石探し、マリカワト古城跡です。
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タクラマカン砂漠縦断ハイライト(その3)

10月18日(3日目) 

 クチャからタクラマカン砂漠を縦断し宿泊地のニアまで約700キロの大移動日です。2時間毎に青空トイレ休憩。皆、辺境の地の旅行に慣れていましたので問題無しでした。砂漠公路(520キロ)は1989年に油田が発掘された事から1995年に作られました。ゴビ灘(灘はたんと読み、平の意味で土漠)、ベニヤナギ灘(タマリスク、赤っぽい低木)が広がり、黄葉した胡陽(こよう)樹が沢山見られる所もありました。砂を止める為に路の両側にベニヤナギ、サベナツメ、ソソを植林しています。これらの木に給水するために4キロ毎にポンプ小屋が108有り其々に小屋番の出稼ぎの夫婦が住んでいます。8か月働き、一か月の給料は2100元(4000円位)食糧は1週間から10日毎に配給されるそうです。ワンルームの室内は僅かな家財道具だけの質素なものでした。昼食は塔河沈でシシカバブ。ニアには21時過ぎに到着しました。

 今回の新疆ウイグル自治区は中国の最西で一番広い自治区です。1955年に成立し今年60周年です。人口は13民族2300万人。ウイグル、漢族、カザフ、回族、モンゴル、キリギス、ウズベク、タジク、タタール、ロシア、シボ、満州(あと一つ思い出せません)。北疆と南疆は天山山脈によって分かれ、アルカイ、天山、崑崙の三つの山脈があります。北疆は遊牧文化、南疆は農耕文化。年間雨量はクチャで60ミリ、ホータンやニヤは10~20ミリです。西安からローマに通ずるシルクロードは天山北路、天山南路、西域南道と分かれています。胡のつく食物(胡椒、胡麻等)はシルクロードで中国に入ってきたそうです。中国と日本との時差は1時間。中国国内は単一時間にしていますが、ウルムチは北京から2400キロも離れているため、ウルムチ時間(北京時間から-2時間)も併用しています。たしかに朝7時でも真っ暗で9時頃になって明るくなってきました。

 写真はタクラマカン砂漠、道端のナン売り、スイカ、ハミウリ売り、シシカバブ(添乗員のMさんとスルーガイドの胡さんが写っています)、黄葉した胡陽樹とベニヤナギ、タリム砂漠公路ゲート(大型は石油関連トラック以外は通過出来ません。迂回して合流しました。

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タクラマカン砂漠縦断ハイライト(その2)

10月17日(2日目)
 うとうとしている間に集合時間の5時半になりました。7時40分発の中国南方航空ウルムチ(4時間)乗り替えてクチャ(1時間)へ14時25分に到着しました。
クチャは天山山脈の南麓に位置し、北疆エリアと南疆エリアを結ぶ街道の要所で亀茲国が栄えた土地です。住民の大多数はウイグル族イスラム教徒の町です。ウズベキスタンで見かけたような服装でスカーフをかぶった婦人が多く見られました。
スルーガイドは漢族の胡さん。バスで奇岩、奇石が続き断層や地層が縦に見えるダイナミックな地形で一部シルクロードにもなっている塩水渓谷を通り抜けキジル千仏洞へ。3〜9世紀に岸壁2キロに渡り造営された亀茲国の仏教石窟寺院の遺跡群です。亀茲国は前漢代に現れたオアシス都市国家後漢時代には西域都護府,唐代には安西都護府がおかれ西域支配の中心地として10世紀頃まで繁栄しました。玄奘もインドに向かう途中に立ち寄っています。
236の石窟のうち38窟(4世紀、音楽窟、天人が2人一組で琵琶、笛、鼓、竪琴等を持っている)、32窟(5世紀、ラピスラズリがきれいでした)、34窟(5世紀、天井一面に仏様の絵)、27窟(91の仏壇、巡礼者の残した手形)、8窟(7世紀、王の命により造られた)、17窟(40種類の物語の絵)を見学。
周辺は黄葉したポプラが綺麗でした。その後、漢代に3〜5キロごとに置かれたのろし台の一つのクズルガハ烽火台と見て夕食の民家訪問。ぶどう棚がある民家で夕食のラグ麺作り体験でしたが、朝からの移動で皆疲れていて誰も手を出しませんでした。21時半にクチャ飯店到着。

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タクラマカン砂漠縦断ハイライト(その1)

Mさんと一緒に行く旅行が見送りになった後も何処かへ行きたいなと思いパンフレットをめくっていました。
 
10月に入りユーラシア旅行社のタクラマカン砂漠縦断ハイライトが目にとまり連絡すると飛行機、ホテルが取れましたら参加出来ますと返事をもらいました。二日後にOKが出て参加することになりました。
10月16日(金)
 成田空港に集合時間の少し前に着きました。参加者は夫婦一組、友人一組、一人参加の男性4名、女性3名の11名と添乗員のMiさん。予定は成田〜大連〜ウルムチで、チケットを受け取り荷物を預けて集合したところ、Miさんから”大連からの飛行機が濃霧で飛び立てないでいる。ミールチケットが出ていますので昼食を摂った後、再集合”と言われ其々レストラン街に‥‥再集合すると出発が3時間半遅れるので今日中にウルムチに着くことは不可能になり大連到着後は北京行きに乗り換え北京泊りになる事、明日、北京からウルムチ、クチャと飛んで、着くのは15時になりクズルガハ千仏洞の見学は不可能になったのでキャンセル受けますと説明がありました。皆、一瞬え〜と云う顔付をしましたが、天候ならしょうがないわねぇ〜と。初めて乗った中国南方航空はパーソナルモニターも無いシンプルな飛行機。24時20分に空港近くのホテルに着きました。

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